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New ←2004.10.27 広告のFさまコメント抜粋UPしました
・・・せっかく良いこと書いてるあるのにもったいないのが理由です(笑)
New ←2004.10.18 上郡N様(Rの家)UPしました
New ←加古川F様(ロフトの有る家)UPしました。
| 平成16年12月31日(金) |
−2004年の終わり− 今年も もうすぐ後5時間足らずで終わる 2003年の終わりに仕事の目途が付いて、新年は良い年になるだろうと思った終盤 2004年、忙しくて大変だった仕事と一級の試験 試験が終わり、自分の今までしてきた事を出してみたいと思った夏 HPを公開してどんな反響があるのかと更新しつつ 朝・夕とメールを待ってみた秋 初めて問い合わせが有り、心から喜び一生懸命返信した日 考えようによったら凄く充実していた様に思う 誰にもこの喜びは解らない・・・ お客さまと会い図面を書いては渡し、何度も考える。 落ち込んだり笑ったり、一喜一憂をする。 そんな充実した年でした。 自分が楽で考えない仕事をしたいと自分では思ってました。 考えたとしても、補助的な仕事をしたいとも・・ 今は自分が「主」です。 何もかも自分の意見で左右されていきます。 怖いと思ってた時期より、自分の今までの生活を考える事が多かったです。 小さいお子さんのいる家庭 いない家庭 これから結婚されるお家 自分の事に置き換え、昔の事をよく考えます・・・ 朝 起きて何をしたのか 保育園に向かう用意をする私、帰りに買い物に向かう私 慌ててトイレに間に合わず粗相をする子供 新しい居間のマットがすぐに汚れて、買わない方が良かったと泣きそうな私 トイレトレーニングをして、う○こと言えない子に腹を立て、トイレの戸を閉めて振り向くと そこでしてたり(笑)きゃーっと叫ぶとびっくりした子は そのまま走り去ったり・・・ ああ もう考えたくない位の事件が満載 そんな自分の失敗や、これから起こりうるであろう事をお客さまに伝える事が 自分の仕事であり、それを元に家を造って行く事が設計としての 役目であると考えます。 今まで見つめてきた道、これからまた新たに広がる道 2005年も考えて行きたいと思います。 ここをご訪問なさって下さった方 本当に有り難う御座いました・・・・2005年も走って行こうと 思います!頑張れ自分!! 一杯建築して「大金持ち」に ・・・・ ・・・・・ ・・・・・・・なりたい(希望) ![]() |
| 平成16年12月29日(水) |
−価格勝負− 価格で負ける事がある これは、仕方の無い事であり勝負する相手の事が何も解っていないと どういった事が決めてで価格が下がっているのか掴めない 同じ物を使い、同じ間取りで負けた・勝ったという事もあり得ないので ナンセンスとしか言いようがない。 が、価格勝負はする気持ちは無いのだ・・・ 見積もりを出す時点で、出来るだけの事をして価格を出している。 良い物を安く造ってあげたいその「一心」で知恵を絞った結果だからだ。 今、現行で動いてる方にも予算の範囲で 出来るだけ価格を抑える工夫をしている。建材の展示会で 高級洗面台をなるべく企画で使ってる洗面台の価格に近い値段を交渉する事や 違うお客さまには 「ショールーム」引き下げの物件を抑えたりしている。 また、予算の範囲内で考え得る出来るだけ良いことを一緒に考えようとしている。 それが小さい工務店・そして設計事務所の売りだと考えていた。 価格勝負をすることにより、結局はお客さまにしわ寄せが来るのは間違いないと確信をしている。 今、目の前にある商品が値下がりしているのとは全く違う これから作り出す物の価値を下げて行く事から始まる価格交渉は 自分としても、工務店としても 出来るだけしたくない行為であると共に、自分自身のクビを閉める事になる。 供給される機器の価格はそう落ちる事はない・・・ そうすると会社としての利益を下げるのか、また 下げる事による不利益を まかなう為には、違う部分での利益を上げるしか無いのだ。 基礎・木材・構造部分での値下げ・・・それこそ数え切れない。 それは、構造を主に考えたい工務店 設計という事から安全な家を造りたいと思う私 それからは遠くなる事だった。 少し前、価格の件から他の業者と契約を結びたいと電話があった。 私はすぐに「解りました」と答えました。 その後、N工務店にも同じ連絡があり、価格勝負はお互いに止めようと思っている事に 話を合わさずとも暗黙の了解があった・・・ 今でも決して間違いは無かったと確信をしている。 大手のハウスメーカーでも大きい建築会社でもない自分たち 多くない顧客との誠意ある話を大事に 安心の出来る住宅を造っていきたいと気持ちを新たにする事が、これから先に残っていける 工務店と設計事務所の在り方ではないかと思います。 また、自分たちが簡単に引いた理由を ここを読むことがあれば、解って頂けたら良かったなぁと 思っています。 ![]() |
| 平成16年12月28日(火) |
−手が届かない話− 24年も経ってしまったが、私はキッチンメーカーに就職した。 一応、一流メーカーであったために 他に面接に向かったが、学校の担任が勝手に余所の就職を断ったという位のメーカーである。 とりあえず、全国の至る所に営業所・支社があった・・・ 私は、どうせずっと働かないのだから、何処でもいいやって言う 考えが有ったし、家の中がゴタゴタしていて 就職なんてどっちでもええわって気持ちが大きかった。 その反面、「保険があり、給料があるのは嬉しかった」 当時、システムキッチンが出来はじめた頃であり、単体で流し・調理台・コンロを置くのとは違う、 自分自身が欲しい組み合わせで天板が一枚物であり 冷蔵庫も扉が揃って、食器洗い機は外国製といったまるで家具の様な夢のキッチンが 売り出されていた・・・ 団地のキッチンがそれこそ、1200位の間口で コンロは2口という時代だったのにも関わらずだった この会社員生活で、自分の考えが一変した様な気がする・・・・ 世の中には金持ちが一杯いて、自分が住んでいた「西成」という地域がどれだけ底辺であり 自分の親が他人と違う環境であった事・また、自分自身がどれだけ育ちが悪かったのか そんなことを良く解った5年だった。 システムキッチン課という課に私はいた訳だけど、よくあるエンドユーザーの家 図面の中のキッチン・ダイニング・居間は広大であり、 キッチンは家具仕様の システムキッチンであり、造り付けの食器棚や そんなもので埋め尽くされていた。 扉さえも特注して、総額500万って言うのが一番大きい物件だった様に覚えている。 20年も前なのに とかく金持ちが好きなのは「特注」であった・・・ 部屋に合わないと特注をする 価格は誰が付ける?って私だ原価表を見て大きさに合わせて金額を見る これかなぁっとその金額に3倍する(笑) 今から思うと凄い丼勘定をしていたなぁとびっくりするけど、どうせ値切って来るのだから こんなんもんでええかなと言う価格が付く 後の事は「営業さん」である。 買う方も大名買いをしていた時代だった様に記憶している 今 売ってるシステムキッチンの方がずーっと高機能であり使い易い 長い時間をかけてメーカーが開発をし、 売るための努力をしている。 会社員だった頃は自社のものしか知らなかったが、今は他社のものを見る 何処のも良く出来ているなと思うばかりである。 ![]() |
| 平成16年12月27日(月) |
−星の数ほどある− クリスマスも終わり、お正月に突入となる年末 たぶん、本日が本年度最後であろうお客さまとの打ち合わせがあった・・・ 平面の変更と、パースの受け渡しをして向こうの 質問を聞いては答え、造り付けの家具はどうするのか?どこまですれば予算内に収まるのか また、新しい希望などを聞いた。 キッチンは「企画」ではミカドのノーティルであるが、少しランクの高いものを 選んである為に、購入時期の検討などをして、来年度の約束をして 本日は解散となった。 私はキッチンメーカーに努めて居たのであるが、今はそのメーカーを使う事がない。 理由は色々と有るが、今のところ不自由がない為に 企画で使用しているメーカーを押している。 自分たちは「企画住宅」を造っているが「建て売り」を造っている訳ではない。 キッチンもガスも風呂も洗面も出来る限りお客さまに 決定して頂きたいと思っている。 加古川Fさまが、ある建築会社からこちらに選ばれた理由の一つに 「選べないのがイヤ」と言うのがあった・・・ 家を建築する事から「キッチン ショールーム・玄関ドア・内装ドア・クロス」その他諸々を選べると 思っていたのだったが、ほぼ決まった何種類の中から選ぶだけだったという 納得の出来ない、歯切れの悪い結果からこちらを選んで頂いたのである。 加古川F様は精力的にあちたこちら行かれてました。 キッチンメーカー・大阪ガスは私たちも同行しましたが、あっと驚いた事に 大阪のトステムまで行かれたそうです(笑) いや・・・私も言ったことない(汗) 家を建築するワクワクが、蘇ったそうです・・・ そうなんですよね 建て売りなら解ります・・・出来上がりなのですから でも、そこそこの建築会社がそんなことしていいのかな?っとも思います。 キッチンだけしか解りませんが私はメーカーに居ました。 大手のハウスメーカー・なんちゃらハウスやら、なんとかホーム用に専用のキッチンが ありました。システムキッチンが今ほど、主流でなかった頃 天板が繋がっていたら「システムキッチン♪」みたいな時代がありました。 粗悪なものも高級品も一緒くたであり、知らない人から 見るとそれは全て「システムキッチン完備」という私から言わせると 「プチ騙し行為」にしか感じられなかったのです。 今から10年ほど前の事ですが、ある方が「建て売り」で家を購入されました。 もちろん「システムキッチン完備」メーカーは解りませんが メーカー名があったとしても、ショールームにあるカタログに絶対に掲載をされていない物なのです。 「建て売り専用に造った物だから・・・」 購入された方は、キッチンメーカーに居たと知っている為に システムキッチンが入ってるのに 吊戸棚は照明が入ってないのはどういうことだと聞いて来られました。 メーカーも解っていなかったように思います。 「付いてないんなら、無いんでしょ」 「なんでや!システムキッチンやろ!!!」 「メーカーは?」 「天板が繋がってる」 「いや・・・それは・・・・・・・」 それはシステムキッチンをまねて三流メーカーがでっち上げたもんだ・・・ と言うのを「ごっくん」と飲み込みました。 いえるかぁ? そんなんいえよねぇ・・・ いくら正直もののあたしでも言えないのであった。 建て売り業者も、照明付き位付けとけよっ せこいなーっ 「無いなら買ったら?システムでも照明の組み込まれていない吊戸はあるよ」 「ホームセンターで照明売ってるから」とちょっと冷たく言い放ったのである・・・ だって何て言ってええかわからんもん 「なんでや!システムキッチンやのに」 面倒になった私は「天板が繋がってるからといってメーカーのシステムとは言えないんや」 「説明のしようもないんで、適当なんつけときなはれ」 その後、建売業者と喧嘩して照明を付けて貰ったとか うーん めっちゃ、ごねたんやろうなぁ キッチンメーカーを廻って選べるの事 それだけでも幸せであるのではないかと その時から思っている。 また、キッチンだけでなく その他の設備機器も全て メーカーが解らないもしくはカタログにも掲載されていない商品は 山の様にあるのである・・・。 ![]() |
| 平成16年12月26日(日) |
−クリスマスは鍋− 年賀状をガーガーと印刷して、クリスマスも終わった・・・ 画像をあっちゃこっちゃいじって賀状を造る 今年初めに離婚しても 年賀状は家族分を造った 弟にしか親戚には伝えてないからだ 弟とは、ネットで繋がっている状態である はっきりいって「変な姉弟」だけど、一緒に居ない時期が長い自分たちにとって 他人と一緒でありつつも、他人ではない何か解らないもので 繋がっている たぶん、お互いに居なくなったら「心にポッカリと穴が空くんだろう」 とりあえず、弟にだけ教えてたらええかと連絡をした。 弟はお前が決めたことやから、ええんと違うかと、そういうだろうと思う返答を返して来た(笑) いつまで、家族の年賀状を造るのか、解らない 他に住んでも造ってる様な気がする 昨日は「鍋であった」 子供が少林寺を習っている関係から、先生のご招待があった 今年最後の少林寺練習が終わり、鍋になった。 一応、「母親」として参加をし、ベロベロになり自転車をこいで帰宅 つ・つ・つ・つかれた・・・何が疲れたって酔って自転車爆走は めっちゃ、疲れる はへはへ ![]() |
| 平成16年12月24日(金) |
−イヴ− あーイヴかー。 仕事も一段落付いたので、年賀状でもこさえるか・・・ 昨日、仕事の方は打ち合わせに行ったそうで 今は、「待て」がかかった状態 こんな日に賀状を造らないとまたまた、正月元日から あー酒のんで、造るかーなどと 不埒な事を考える事から、早めの対策にかかっているのだ。 うーん 画像を貼り貼り、体裁を整えてどうじゃとばかりに出来上がった年賀状 後 何枚? 100枚購入した年賀葉書を延々と印刷しつつ イヴもクリスマスも終わるであろう ![]() |
| 平成16年12月23日(木) |
本日は、天皇誕生日 えーっと?いつの天皇??? あ 平成? 昭和天皇は、みどりの日かなんかになっていたのか 皇太子が天皇に変わったらまた、名前が変わって休日になるのかそれは解らないけど 休日にしてみようか等と、その時点で日本が平和なら問題も無いかな 皇族が、日本から消える事は無いのかもしれないし、あるのかもしれない・・・ 奈良や、京都に行くと宮内庁の力がいかに古くから強いかが解る 奈良は古墳群が多く存在し、それらにどこからも入る事が出来ない様に なっている。もちろん、入ろうと思えばどんなことをしてでも入れるが 入っても仕方ないので誰も入らないのであろう 仁徳天皇陵というのが、堺にあるのだが ここにももちろん入れない・・・宮内庁管轄である。 小学校・社会の時間も、そこはさらっと流す 天皇問題自体、さらっと流すので「君が代問題」などはなーんもコメント無し ここに入った事あんの?と母に聞いてみたが 「ここには大蛇が居て、墓を守ってるから入れないのよ」などと とってもじゃないが 「ロケットで月まで行く」と言う情勢に反する事を平気で言う母がいた。 正直「馬鹿じゃないか」と子供心に思った。 母の時代はそれで良かったのである。 何せ、神様なのだから・・・・ 奈良の古ぼけた古墳で「宮内庁管轄」と看板を掲げ、入れない様にすること イコール 人骨が見つかって、代々の天皇は「人」である 証拠を出る事がまずいのだ。誰でも知ってる解ってる事を公にしない事 戦後、象徴となりえた後でも、完全な人間であると言った事ばかりを押しつけている。 今 同じ人間である事を前面に出している方がいらっしゃる事から 色々な物議を醸し出している。 君が代問題は、「君の世が岩が細石(さざれ石)の様になり苔むすまで長い年月、続きますように」と 願った歌であり、君の世とすることに問題を掲げている。 それが二次世界大戦を引き起こしたからだ。 そんなことも考えずに、皇族報道を見て喜んでいるおばちゃんを見て いかがなものかと・・・あたしは思うのである。 「君(きみ)」を「民(たみ)」に一字変えるだけで、大違い 変える日がいつか来るように願っています。 決して、今の天皇を否定している訳ではありませんが、報道を見て 感じた事を一個人の考えとして書かせて頂きました。 宮内庁から、検閲されたらどないしょ? ![]() |
| 平成16年12月22日(水) |
−水鏡− 水に映る景色のように、いつも見えている自分の目 物心ついた時からずーっと視力が余りない自分にとって、コンタクトは離せないものだ。 今朝、新聞の一面に出ていた記事は角膜を口内粘膜から作り 移植したお嬢さんの目が見える様になったとの記事だった・・・・ はーっ 凄いことになったもんやなー この間でもないけど、タイガーウッズが視力回復の為に手術を行ったとか NASAに入るには視力も2.0無いとあかんとか いや 入れる訳ちゃうけど(笑) 色々な場面で視力が無いとなれない職業は割とあったりする。 まぁ、自分の学力では関係ない仕事ばかりだけど パイロットもそーだったかな よく、見えてないと小学校に入った時に 廻りがやっと気が付き それからは眼鏡の生活になったのは、言うまでもない おばぁちゃんの家に行くと、目が悪いからと何故かチャボの卵を食べ 家に居ると、食卓に「鳥の肝」を炊いたのが並ぶ・・・ 未だに、目の前に出されると 「食べなくてはいけない」強迫観念にかられて肝を食べてしまう パブロフの犬状態である 親戚に誰も目の悪い人が居ない事から、みんなの?の的であったが 今から思うと保育器に居たことによる「未熟児網膜症」が 原因であった様であるが、失明にならなかっただけ、めっちゃ儲け 大人になり初めてのボーナスでコンタクトを買った。 今はもーすぐに来るであろう 「老眼」ってやだなーって恐々しているのである 医学ってめっちゃ発達してるんやから、 何とかならんの? ![]() |
| 平成16年12月21日(火) |
−図面を書くと言うこと・・・その2− 素人のお客さんとゆーか、エンドユーザーと付き合いが無かったあたし 設計畑にいても廻りは自分より出来る人であり アラを見つけられて、「ごめんなさい」を繰り返すばかりの毎日 なんとゆーか 世間とのズレがここで産まれたのだった。 世の中の人間、大半は図面が読めないのである・・・・ うーん しらんかった(笑)マジで 平面を出しても、立面を書いても、展開図を書いても 解らない人が多いのに驚いた。 建築中にやっと、理解出来たという顔をするのであるが、正直 あたしゃ、その気持ちが理解出来なかったのである。 見たままなのに何が解らないのだろうと、ずっと思っていた。 何人かのお客さんと会い、話して 「あー解らへんのやーっ」と、やっと解るようになった。 今、平面で悩んでいらっしゃるお客さまが、いらっしゃいますが もちろん、平面の理解はされている事は解っています。が、もっと踏み込んだ所で 高さ方向や、奥行きの解りやすいものを出してみようかと 断面を書いて見ようと思い立った。 書いてみると、これが大変 確認申請を書く段階では必ず書いていてもその前の段階で クロスやボーダーを使ってみたり、細かい所まで 実施設計までに書くことは少ない 提案の時点では本当にあまり書かない・・・ どんな風に見たら格好の良い部屋に なるのか、これで納得して頂けるのだろうか等と ずっと悩んで書いて、この2日間を過ごした。 初心に帰るではないが、理解をして頂きたいと思う気持ちが少し自分自身に欠けていたのでは 無いかと思い、恥ずかしい気持ちになった。 それにしても、本当に欲しい物を見つける事が出来るようになる嗅覚が 備わったらどんなに良いだろう そんな事が出来たら良いのにと思う がばっと大儲け←無理 小さい子供を育てて居た時に、「頭の中が見えたらどんなに楽やろか」と毎日 考えていた様に、相手の動向を手探りで探っていく。 貴方なら大丈夫だと思いますと・・・きっと言ってもらえる日が 日が・・・・ 日が・・・ うーん 来るのか? ![]() |
| 平成16年12月20日(月) |
−図面を書くと言うこと− 図面をCADで書き出してから、20年以上経つ 入社した会社が何故か、早々と導入してくれたおかげで、長い長いCADとの 付き合いが始まったのだけど・・・ いまだに、コンピューターって何でも出来るから「楽チン♪」って言う方が 年配おじさまや、果ては若いお嬢さんにも多いわけであるが、その当時はよけいに そんなことを考える「おじさま」が多かった(笑) 何でも出来るから楽でええやろー それくらいの金額を支払ってる訳(会社の言い分)だしってなもんである。 うーん 当時の金額からすると社員を雇った方がええんじゃ?っと思える位の金額でした。 何千万単位でお金をつぎ込むのですから。 キーボードでポンポンポンと打てば、ガーっと図面が出来るだろうとの 気持ちでいた「おじさま達」 あたしも会社に導入されて、自分が入力に立ち会うまでは マジ、そう思ってました(笑) わははは んな訳ないやろ!と残業で気付きました。 毎日、入力の為 残業してパソコン上で線を引く作業がある キッチンメーカーであった事からキッチンの箱を 延々と書いていくのだ。カタログやら資料を見ながら何百とある単体を作っていく。 おまけに8インチフロッピー使ってましたので、すぐにフリーズ(笑) 何か間違うと、一気にバグって終わり・・・ 今の様に「バグ」って言葉が無かったので、主任の立場の人に 「図面、宇宙の彼方に行ったみたいやー・・・」とご報告 「またかー、パソコンは広いからナー」てなもんだ 何が楽になったって? 消すのがあっという間であるのと、コピーが出来る位の違いしか 人間の手とパソコン上の違いは無かったのだ・・・ 丸書いて「おーーーーーーーすごいーーー丸書いてる〜」と大喜び!!大の大人がプロッター囲んで大騒ぎ 20年以上前の話しであるが、大元の基本はなーんも変わってない 今も自分はパソコンの上で一本一本線を引いている。 当時より楽になった事は、各メーカーが 窓・ドア・キッチン・風呂・トイレそんな設備機器を、データーとして ネット上からダウンロード出来るって事だけなのである。 それだけは貼り付けて終わり でも、組み立てや立体として考えるのは人間の頭であり 想像なのである。 大手では支援CADというのがあり、(工務店も持ってるけど)そこまでの作業は無い 立体に弱い人間であっても簡単に使える様になっているCADだ。 その代わり「自由度」が少ない様に思う 機械の制限も有るけど、自分の制限も決めてしまう様な気がする・・・・。 面で考える家より、線で考える家の方が自分には合っている 一本一本、引きながら頭の中で立体にしていく作業は 自分の中で、形を造る事に一番近い パズルを組むように一番無駄の無い形を造って行く。 使い易い文房具の様に無駄の無い形が 今の自分にとっては美しい 20年前から、造り続ける自分 後ろを振り返ると、どれだけの物が出来上がっているのだろう? ちょっと見てみたい気分 ![]() |
| 平成16年12月19日(日) |
−自分の無力感を感じる時・・・− 少しこのところ、良くない事が続く ここで書けない様な事だけど、今後を左右するような苦しい事であり 自分自身があがいても何もならない様な出来事が ずっと続いている。 昨日はそれでも頑張って、意気込んでここにも書いてみたりしたけど 朝、起きて 「学校をさぼった」 3年間の学校生活の中で、何も理由がないのにさぼった2回目だ 1回目は春頃 駅に向かう道で、先に来た方に乗ろうと思っていた。 家を出た時間は、姫路駅より確実に大阪行きが来るダイヤで先に来たのは、 当たり前だけど学校と反対方向に向かう電車だった・・・・ 確信犯 「大阪に帰りたい」と無性に思った。 自分を迎えてくれる人は誰もいないけど、大阪に帰りたい それでも電車の中で誰かに会いたいと思い出した。 梅田降りて、たしか幼なじみが布施にある店にいたなぁと思い出した。 布施駅を降り、彼女がいるであろうと思う売り場に向かった。 ウロウロと中を捜して、彼女を見つけた。 ものすごく驚いた顔をして 懐かしい、今は誰も呼ばない呼び方であたしの名前を呼んだ。 「どうしたん?」 「会いたくなったから」(今から思うと変(笑)) 今の現状を彼女に言って、大阪に帰りたいけど帰れない でも、頑張っていかないといけないんだ。 彼女は、みんな先が見えないし自分も何も見えない・・・いつもサライは 頑張ってるから、辛いんだよと言われた。 あたしにとって彼女は何でも出来る、賢い人であり、自分は何も出来ない 出来損ないの人間であった。 人から見える自分が違った事に驚いたけど、離れて何年も 友達に会っていない自分が、悲しく、お互いに懐かしい思いで1時間ほど話した。 元気が出たから帰ると彼女に言い 小さな逃亡は終わった。 苦しむ人には何をしてあげる事もできず、不幸なのは自分だけだと 自分自身で決めてしまう 結局は何もかも自分で変えて行くしか無いのだ・・・ 劇的に変わる事もなく、淡々と歩くしか無い この間、もう1人の幼なじみから電話があった。 心配をしてくれたみたいだ。 友達と過ごした、何も考えない幸せな時間と一番苦しかった時間が 大阪には詰まっている。 時々、覗きに行こう・・・だってあたしにとっての故郷だから 今度は、天下茶屋に行ってみるか ![]() |
| 平成16年12月18日(土) |
−構造計算− 構造計算・・・はっきりいってこれほど私を苦しませるものは無い が、これは試験問題にはかかせないものなので なんとか覚えようと努力するふりをしたりするのである 実際に、建築士を持っていると言うだけで 計算はお手の物と勘違いなさるお方はよーっくいらっしゃる。 こんな馬鹿ものの私でも三角関数あたりや、sin/cos/tan くらいならなーんとかなる 実際の現場である大きな構造物にかかる計算はどだい無理 そんな時はどーするのか・・・ そう、構造計算を生業になさる方にお願いしてソフトで計算をしてもらうのだった。 2階建て在来木造となるとそうもいかないので ソフトなどを使い、演算をする。 もちろん、手計算でも出来る様になっているが 教科書をみつつ、電卓であーでもないこーでもないと計算をする羽目に陥るので たぶん、頭がパニックに陥る事は間違いないであろう その昔、独立をしたばかりの頃 ある社長が平面をこさえてくれ等と言って来た。共通の友人がいたのだ。 時間がないので、平面を作ってくれたらそれでえーねん ついでに、出来るだけ安くしたいから梁と柱を小さくしたいので、計算をして欲しい等と 都合のええことをほざいとった。 今なら、どこにも頼めんから、私に頼んで来たな(決して良い意味でなく)ばーかっと言って 断るけど、その時の私は、甘ちゃんだったので なーにを言うとんねんと思いつつ 「あのーなんぼ平面でも責任の有る事なので、平面はともかく梁・柱の件に関しては 建築士会の方に相談をしてみます」と返答した。 彼は 「ややこしい先生の言うことは難しくてかなわんからそれはええわ」 なんだこいつはと思いつつ、平面を書いて出したのだ。 自分に都合の良い、図面を書いてもらいたいだけだったのであろうか? それで何かあった時に、責任の所在は?だれだ? その後、その現場は決まらなかったのか 「図面代を支払う」と言ったまま、現時点で4年程も経つが未だに支払われる事はない 支払いをして欲しいとの電話を入れたその次から電話は繋がらなくなった。 約束も守れえないその彼は、今では一職人として 四国にいるとかいないとか・・・ 彼は確かに設計を馬鹿にしていた。 また、私を馬鹿にしていたのだ。 「ちょっと図面を書くだけなら2・3千円の小遣い程度でシッポを振るだろう」と思っていた事が 電話の向こうからありありと解ったのだった。 こんな人は多い どんな仕事も、自分の仕事と比べてはいけない その仕事に従事して苦労も、楽しみも解ってないと言ってはいけない言葉が確かにある。 その時、私は悔しくて、絶対に見返してやると思っていた。 今 私はここで生きて家を造っている 彼は、共通の友人でさえどこにいるのか解らない様になっている。 今 あったら そーね あっかんべーして笑ってやるわっ! ![]() |
| 平成16年12月5日(土) |
−タダ飯は美味い− 帰って来たばかりの週末 4日金曜日・・・実は忘年会であった。 毎週末 さすがに考えたけど、会費2000円ですき焼きだから行った。 いつもながら、ここの忘年会は女性は半額である。 なんでかな 男しか居ないので、少数の女性は「おばちゃんでも半額♪」ほほほほほほ どこに行くのだろうとチェック済み 明石の高級すき焼き店だった〜もーめっちゃうまい こんなうまい肉・・・ひさしぶりで 子供に食べさせたいとか何とかより 自分がうはうはうはで、ひたすら食しておりました。 お隣は、有る会社の重役さんですが、彼による「ここにして欲しい」との希望だったそうな そんなことはどーでも良く、うまいうまいと食べ終わった頃 重役さんは、忘年会の人数分を支払って帰ったのであった。 そう・・・ 本日0円ってゆーか、行きの電車賃560円のみ うーん この不景気 有るところには有るもんだなぁと思いつつ 残ったビールをぐいぐい飲んで 隣の人が食べなかったごはんまで黙って食べました。 すいません・・・ 席に帰った時、ごはんなかったのはあたしのお腹の中です・・・ うまかった、ごっちゃん 沖縄より帰宅してボンビーの私 忘年会の為に5000円借りて参りましたが、今年も良い年で 締めくくれそうじゃん等と、ほくほくしていたのでした。 書いてて少し寂しいけど・・ まぁいいか ![]() |
| 平成16年12月4日(金) |
−めんそーれ沖縄(5)− 本日で最後 実際は、11月27日(土)出発 28日(日)結婚式 29日(月)帰宅 最終の日、昼まで観光になった。 デジカメのデーター32MBが一杯になり、最終の日は撮れなかった。 新郎新婦は、翌日に帰って来ることらしく、最後の観光地 万座毛に向かった・・・ うー 何でこんなに綺麗なんだ? ものすごく綺麗な海を眺め、遠くの水平線を見て息をのむ こんなに綺麗な所が、まだ あったのに来た事が無かったんだ・・・ 実にもったいないよな気分 新婦Mちゃんはこんな所から、なんで移ったんだろう あたしは、大阪育ちの大阪生まれで 汚い部分しか見て育って居ない様な気がする。 が、小さい頃、両親は3ヶ月ほど和歌山にあたしを預けたそうだ。 まだ、綺麗な和歌山の海 記憶に残っていたのか何なのか 海を眺めることも、海の音を聞くことも好きだった。 波の音と潮の香り その音を聞きながら夏休みに、「人魚姫」を読んだ。 「人魚姫」がとても好きで、何度も何度も読み返した・・・ あの音の中に あぶくになって消えてしまう、「人魚」がいるに違いないとずっと考えて、夜を過ごした事がある。 きっと、この綺麗な海に「人魚姫」はいるのだ。 なんとなく、そう感じた。 さよなら 沖縄 帰って一番にする事は・・・携帯電話購入じゃん(涙) ![]() |
| 平成16年12月4日(金) |
−めんそーれ沖縄(4)− トイレにて、デジカメが落ちそうになった・・・ お 大事大事とストラップをつかみ さぁっと ペルトをはずした瞬間、後ろで「ザブッ」と音がした。 振り返ると、携帯電話がトイレの中で 立ち泳ぎをしておりやした(笑) ははははははは なんでやねーん そう・・・・充電器が重いからです・・・ なんのためらいもなく、手を突っ込み引き上げたのですが、ご臨終です。 あげた瞬間、思い出したのは あらってはいけないでした。 今思えば、もう馬鹿馬鹿しい事なんですけどねー その後、あたしは姫路と連絡が取れなくなりましたのですが、行ったその日にジャボン 何となく情けない気持ちとなりながらも、沖縄を満喫したのでした。 結婚式当日は、快晴 ホテルの教会で式を挙げ、外で鐘をならす二人 海は綺麗で、どこまでも青く うーん 「映画みたいだ」 感動しきりである・・・ここに居る自分自身も嘘の様だ。 あまりにも綺麗な海を見ながらそう思った。 おめでとう・・・ 式は、夜6時から始まった。 たくさんの出席者で賑わい、沖縄の方達は色々な芸能を披露してくれる。 なんだ?プロか?っと思ったら 全員、素人だそうで、帰ったら新婦にも 「なんかでけへんの?」って聞いてみなあかんと思っている(笑) なんでも結婚式で芸能を披露する事に命をかけてるそうな←バスガイド談 だ・だ・だ・だ・だからみんな親戚なのかーっと 後で聞いてものすごく驚いたのだった。 実際、あたしゃ結婚式でカラオケはいかがなものかと考えてる方である。 たいして上手くもない歌を、それもだいたい同じ様な歌を 延々と聞かされる身にもなってもらいたいもんだ。 それもあって、実に楽しめた結婚式だった。 最後は全員で、手踊りをする。 「良きことも悲しきこともかき混ぜてしまおう」といった意味があるそうな 沖縄は本土決戦が有った唯一の地だ。 苦しくて、大変だった中をくぐって来た人が今の沖縄を作っている。 なんだか重い言葉だなーっと思いつつ 一緒に踊ってみた・・・ 怒濤の結婚式が終わり、またまた夜が暮れたのだった 気持ちよく酔いました(笑) 美ら海水族館・・・やっぱり海綺麗です。 ホテルのロビー結婚式20分くらい前 結婚式で披露された踊り・・・これはエイサー |
| 平成16年12月3日(木) |
−めんそーれ沖縄(3)− なかなか沖縄に行かない(笑) 11月27日(土) 朝 5時に起きれたあたし・・・絶対無理な気もしたが 遅れちゃまずいと、起きてパンを食べ 用意をして着替え、駅に向かう さすがに・・・冬の朝 外も暗く、寒い中 バスに向かった。 結婚される二人もパスに乗っていて、一番最後があたしだった(笑) 遅いからと新郎は外まで出向いてくれた。 ははははは でも 遅れてないんですけどっ バスは総勢46名 すっごいなー さすがに知ってる人は1人も・・・ あ いた N工務店近所の工務店・・・こちらもN君がいた。 簡単に挨拶を交わしてパスが伊丹に向かった。なんちゅーか バスの中では新郎お父さんの挨拶があり 今後のスゲジュールが配られる。 おお 一大イベントである!!! 今更ながらすごいものだと思いつつ、スケジュールを眺めていたのだった。 で、ここからまたあたしの勝手な勘違いモードにどんどんと 突入してしまったのである。 勘違いから、新郎家族には大変な迷惑をかけてしまった事は ここをお借りしてお詫び致します。 って、ここ新郎は見るけど、新郎父は見ないな・・・ 伊丹に到着 飛行機に乗ったのは18年前である。 ものすごーーーーーーいぃ 気が重い 第一、18年も前に乗ったきり本日は知ってる人もN君しかいない(涙) 新郎家族は知っていてもみんな忙しいし 結婚式の当事者は「違う飛行機なのー」と遠くに行ってしまった・・・ いくらあたしでも、知らない人とは話せないよー なはせないよー はなせないよー はなせないよー はなせないよー ・・・ 最後にはどーにでもなった訳だけど不安な中 N君に「知ってる人が居ないのでお願いします」と同行をお願いした。 18年ぶりに飛行機に乗るあたし ゲートで財布やら携帯・鞄をかごに入れてくぐる。 さぁ あたしだ。 ♪ピンポンッ♪ 後ろから「お客さま」と声がかかった・・・ へ? 「何か金属の・・・・」 あ これだ ベルト 鋲が一杯ついた、子供に言わせるとヤンキーベルトらしい あたしは格好良いと思ったんだけどな 何故か靴まで脱ぐ始末 めっちゃ恥ずかしい犯罪者の様である。 やれやれ 沖縄に到着 そう 二人と別れる前にちゃんと「自分の立場」を聞かなかった為に 沖縄で新郎夫婦を空港で待って居るあたし みんなで合流してのち 観光だと勘違いをしていた為に 行方不明者になり、 パスを遅らせてしまいました・・・・ みなさま申し訳有りません。観光でゆっくり出来なかったのは多分 あたしのせいです。 ランチ ![]() 日本人ではない顔だけど名札は日本人名前 ←手元はこんなん♪ 美味しかった♪♪ビールはオリオン生でした♪ 沖縄の国際通りを眺め、首里城を観光 1人で参加と聞いて、一緒に廻って下さったMさんとお嬢さんのAちゃん とても楽しく、買い物も一杯出来ました。 良かった〜♪ 安心 夜はN君達と居酒屋で飲み会 不安な中、沖縄の夜は暮れました・・・ 寝るときはすっかり 良い気分♪ なんとかなるさっ 沖縄に着いて国際通りを観光中 携帯をトイレに水没させて、今度は家とも仕事場とも行方不明者になりました。 どうしてこうなるのだろう・・・・ 帰って来てから友達が、 「サライ いつ沖縄に行ったん?たいていどっか行くとメールくれるのに珍しいねー」っと言われた。 N工務店には「馬鹿者」と一喝された。 家では「あほちゃうかっ」 そう アホです。 あたしも写メールとかして、「うふっ お・き・な・わ♪」とか 書きたかったよ!(激怒)←自分に怒りたい ![]() 首里城 3カット 左・一番有名な建物・・・・ベンガラ色がとても綺麗でした。 中・首里城より・・・うーん 万里の長城ぢゃ 右・中に有った模型・・・映画「ラストエンペラー」を見ている様である。 |
| 平成16年12月2日(木) |
−めんそーれ沖縄(2)− 沖縄前日 姫路K様邸の確認申請を提出であった。 3階建てともなると色々と調べる事も制約も多くあり、間に合わないかも・・・ などと言うと、出すまで行くな言われそうなので必至 無理矢理にでも間に合わせて沖縄に行くのだーーーーっと言う 気持ちでここ何日かかかりきりだった。 気合いだーっ 提出 帰宅 明日の用意 バタバタと一日が過ぎていく・・・・ 早く寝なくちゃと思い、布団に入ろうとしている自分の目の前で 田村正和の「さよなら小津先生」の録画を見始めた。 おいおい あたしゃ、明日は沖縄なんだよっ 6時半姫路駅で、朝は5時に起きるんだよっ そう 寝たのは1時でした・・・朝まで後、4時間 どうなる沖縄の朝 そうして、確認申請・・・きっといっぱい何か有るだろうと思うけど もう 帰ってからの事さっ 手元には、サポートセンターより訂正ファックスが御座います。 朝出して、もうファックスってどないやねん 朝、早く起きられるのかの心配と共に 睡眠不足の朝は明けたのでした。 ねむーっ ![]() |
| 平成16年12月1日(水)AM 9:00 |
12月からの日記は表題をつけようかなぁと思っている。 で本日は・・・ −めんそーれ沖縄(1)− めっちゃ、そのまま 結婚式に出向くことになったいきさつから書こうと思う・・・・・ 恥ずかしくて書けなかったのだが、実は一級建築士は持っていないのである。 それでも一般住宅の申請には何も困ることがない。 ・建築高さ13m 軒高9m以上の木造 ・延べ面積500m2以上 こんな住宅は滅多に無いし、プランを煮詰め書類を出す事までは問題なく 出来るからである。 でも、自分の中で一級が欲しいという気持ちはぬぐう事が出来ず 学校に通っていたのだった。 学校で、何人かの友人ができ「苦しくも楽しい学校ライフ」をひたすら満喫しておりました。 その中にカップルで学校に通う、二人組が居りました。 彼女たちは「結婚」を誓い合っている様で ほほえましくも有り、苦しい中の「私にとっては喜ばしい事」であったのです。 ある日 「沖縄で結婚式をする」と聞き、「あ そーなんや」 心の中では、 こっちでするなら結婚式とは言わなくても、二次会とかに呼んで欲しかったなぁーって思ってました。 沖縄かー。。。帰ってきたら「お祝い」してあげよーってめまぐるしく思う中 「沖縄に来て欲しいんだけど・・」 「は?」 「は?沖縄???」 どこですか?そこは・・・ そう、一発返事で行くこととなりました。 だって、そうでもなきゃ死ぬまで行くことは無いような気がした(笑) あれから半年以上経った先月末、その日は やってきたのだった ![]() |