〜職人 パート1〜 (サブタイトル:働かざる者食うべからず)
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仕事ってなんぞや?
たまに考えてしまいます〜。生き甲斐?食べる為?趣味?
仕事もしないで毎日、買い物に行ってスポーツクラブで汗流してええなぁ・・・
ってそんな奴もいるこたぁいる。
んでも、それはあたしでは無い!
あたしは働かないと一気貧乏に陥るのである
だが!どん底貧乏でもな〜んもこたえなかった"男(ヤツ)"が居る。
それはあたしの親父である。
生まれたときからそんな奴だったかは定かでは無いが、
知ってる限りではロクデナシで、
あたし自身もそんな親父の血を濃く受け継いでいるロクデナシである。
あんまり仕事が好きでなかった親父は、年中休みであった。
「雨の日は職人は休み」って聞いていたが、
雨が降っとろうがお天気サンサンで有ろうが
グ〜グ〜寝ているか、ゴロゴロしてテレビばっかり見ていた。
「春休み〜♪」「夏休み〜♪」「冬休み〜♪」
う〜ん・・・どない考えてもあたしと同じくらい休んでいた。
そのおかげでめちゃくちゃボンビーだったのはしょうが無いが、
おかぁちゃんが可哀想だった。
年中、お金が無いので内職三昧。。。
毎日の米にも事欠くそんな有様だったのだ。
おかぁちゃんが怒るといきなり居なくなって、
田舎に逃亡したりするからもうめちゃくちゃである。
男としての責任能力はあんまり無かった様だ。
おかぁちゃんと二人で夜道をとぼとぼ歩いて、
「あかぁちゃんが離婚したらあんたどっちに付いて来る?」
「ええええ〜そんなん嫌や〜」
と泣いていたけどそれも良かったんじゃ無かったのと今では思うのである。
遅いけど・・・
あたしも子供の頃はボタン付けとかしていた記憶が有るし、
おかぁちゃんが着物を仕立てて呉服屋に卸していたのも覚えている。
結局、内職根性が抜けきれ無かったのか・・・
あたしは、図面を書いて納品して銭かせぎしているのである。
子供の頃からこの親父を見てるせいか世の中の親父もそうだと思い込んでいた。
いきなり考えが逆転したのは、会社員になってからだった・・・。
〜生まれた時からのすり込みは恐ろしい・・・〜
〜職人 パート2〜 (サブタイトル:どこまでが仕事?)
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子供の頃、大阪万博が開催された。
とにかく何回も見に行った・・・・・・。
毎週???そんな訳は無いが、月に一回は行った気がする。
たくさんのパビリオン。
たくさんの外国人と人達。
淡路花博覧会とか、ポートピアとか(ネタがローカル)
そんなもんでは無いくらいに人で埋まっていた。(記憶がウロ覚え)
休日の東京ディズニーランドぐらいは居たと思う。
んで、親父は万博パビリオンを作りに行ったらしい・・・。
あたしに、写真を写して自慢しまくっていたのを良く覚えている。
当時、大阪は万博景気で地方からの日雇い労働者でアイリン地区は一杯だったし、
朝、アイリンで立って待っているとトラックでお出迎えに来て、
現場まで運んで行くといったシステムになっていたのである。
(通称「立ちんぼ」と、その業界では言うらしい。。。)
あたし自身そんな所には縁が無かったが、親父はしょっちゅう行っていた様だ。
その写真なんだが、貧乏でケチだったから写真と言えば、
白黒だったのにその写真はカラーだった。
何でだぁ?!
カラー写真をどっかからパチったに違いないとあたしは思っている。
まぁパビリオンだけど、2〜3枚有ってどの部分を親父が作ったのかは全く解らなかった。
当時・・・あたしは小生意気なガキで、作ったとは何をもって作ったと言えるのかと
ずっと悩んでいたが、今となっては親父の気持ちが痛い程解る・・・。
側溝を掘ろうが、基礎コンクリート打とうが、鉄筋立ち上げようが作ったのである。
もし、あたしが明石海峡大橋のボルトを一本でも書いていたら(そんな事は無いが)
それは設計に携わったのである。。。
今あたしがあの時の子供だったらもっと喜んであげたのにと思っている。
〜職人 パート3〜 (サブタイトル:どこまでが職人?) ![]()
親父は大工・・・だったような
前回にも触れたが、親父は大工であった・・・ようだ。
それって自己申告であるから解らないのである。
子供の頃から家をおもくそ早く家を出てドロドロになって帰る。
それも、酔っぱらいである・・・酒癖は悪かった様だ。
「サライさんのお父さんのお仕事は?」と聞かれる度に「お父さんは
大工さんです!」と答えていたあたしだが。
本当の所は、何が何だかさっぱり不明である。
まぁ、あたしが現場に行くでなし、家に仕事の道具は有れど、会社でも無し
よく言う「大阪城を作ったのは?」「大工さん!」ってのは解るが、そんな
もんを作るでなし(当たり前か)・・・実に不可解であった。
でもまぁ、「大工」とは実に都合のいい言葉である。
そうだなぁ・・・以下例題
彼女とデートの際、どうも男から電話の様だ。
「誰?」と聞くと、「ふふっ友達♪」とかって言うくらいの曖昧な言葉
である様な気がするのである。(うちの親父はね・・・)
会社員で有れば、会社に行っていないと住所不定無職であるが、「大工」と
言ってしまえば、自分で仕事をしているで何もかも終わってしまうのである。
こう言ってしまえば、実に怪しい人物であったみたいだが、
本当に「実に怪しい人物」であったのである。何ってゆうか、我が親ながら
うさんくさい人物であった。
本当に働くのは「大嫌い」で有ったのでどないかして、楽して儲ける方法は無い?
って考えで生きていた。でも、出資は死ぬほど嫌いであった為、
どないかしてあたしや弟がッバ〜と儲けて、楽させてくれないかと
そればかり考えていたのである。
バカ親父は、何をいったい考えていたのか・・・未だに解らないが
親父:「おい!サライ!プロゴルファーって儲かるらしいぞ!なれ!!」ときたもんだ。
サライ:「はぁ?」(いったいどんな風にしたらなれるのかも解らない・・・)
(バカバカしいが)「解った!ほんなら、クラブ買うてくれ!」
親父:「なんや!お前は!道具こうたらなでけへんのか・・・金かかるやっちゃな」 「あかんやっちゃ」
サライ:絶句である(笑)・・・(お前や!あかんやつは・・だいたいクラブ無しでどうやってするねん)
バカバカしい事、極まり無しである・・・この話の次は、確か う〜ん
「ダンプに乗れ!」で有った。親父、あたしをちゃんと見て言ってくれ(笑)
そんなもんに乗れるんかどうか、その時代パワステは無かったぞ
未だに車に乗れないのに、自分勝手もたいがいにして欲しかったが
そんなアホみたいな事もっかい言ってくれ・・・
笑ってやる(笑)
よう考えや!トンビは鷹を産まないんやで〜!!
〜少しの後悔と懐かしくて泣きたくなるような記憶だった〜
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